反対意見を読み解く

何故「大阪×都区制度」じゃダメなのか

大阪都構想の最初の住民投票から5年が過ぎた。
橋下氏の引退、吉村洋文という後継者の誕生、そして「草刈り場」になると言われたがそうならなかった大阪の政界。ましてや昨年は大阪府議会・大阪市議会において大阪都構想の提案会派が信じられないほどの躍進を遂げ、思えば大阪にとって何ともドラマチックな5年間だった。そしてなお活発なのが大阪都構想に異論を唱える面々だ。
しかし、「百害あって一利なし」等に代表される彼らの言葉を聞けば聞くほど不思議に思う事がある。
大阪都構想は何をするのかと言うと、大阪市を4つの特別区に再編する事だ。つまり「大阪都」の名が示す通り、それは東京都のように都道府県の次に来る住所表記が「〇〇区」となる行政単位の変更である。既に以前のコラムに紹介された通り、その必要性、必然性の議論は最近の話ではない。
報道では「東京や大阪のような大都市」というフレーズが良く使われる。衰退の歴史が長かったとは言え、我が国第二の都市のイメージだけは健在だ。東京だって都区制度が導入された77年前から現在のように発展していた訳では無く、それは成長の歴史と共にある。即座に良し悪しを斬らずとも大阪を東京と同様のシステムで統治するという選択肢にそれほどの不思議はない。また平成の大合併が全国的に行われた今、住所変更の煩わしさが理由になるとも思えない。

反対意見はどのようにして生まれるか

このような提案を受けた普通の人が、その受け入れについて「反対」という結論に達するのはどのような課程になるのだろう。想像するに、通常ならばどうしてもこのようにしかならない。

  • →大阪が東京のような都区制度へ
  • →「大阪市が東京23区のようになるとどうなるのだろう?」という素朴な疑問
  • →出来上がった制度案をよく調べる
  • →落とし穴的な欠陥に気付く
  • →その欠陥を詳しく具体的に力説。この時点でその人は都構想にかなり精通している筈である

これは、もしそのような欠陥があるなら、という仮定である。つまり、是々非々の議論なら具体性にスポットの当たった批判となり、それがないまま「百害あって一利なし」という便利な言葉で批判が出来るとは思えないのだ。「都構想がよく分からない」「二重行政が何なのか分からない」などと仰る政治家や学者の皆さんはいったい何を批判しているのだろう?と不思議に思う事もしばしばである。

ましてや、その設計図を作る法定協すら終わらないうちからの反対活動。都区制度という原理だけで東京都以外の都市には相応しくないのであれば特別区設置法は提案も可決もされないであろうし、その全体像が出来上がるまでに長い課程を要した大阪都構想を頭ごなしに反対する前に、その途中段階で建設的な修正提言がいくつもあっても良さそうだ。これらが決裂に終わった末の反対ならまだ分からなくはない、それが是々非々という物だろう。しかし反対派のトーンは5年前の5.17以前から続く物と何ら変化を感じない。
これは都構想の良し悪しに関係なく大阪市(役所)と共に失われる何かを守ろうとする行為だと想像してしまうのは私だけだろうか。

強引な批判

彼らの言い分で聞き捨てに出来ない内容がある。それは貧乏な大阪府が裕福な大阪市の財布を狙っているというものだ。
彼らがここで言っているのは、制度論云々ではなく、提案者が表に出しては言っていない「本当の狙い」(と彼らが主張するもの)、はっきり言えば提案者が市民を騙しているという主張である。
それは、今回作られた制度をよっぽど精査した末にそうと分かる明らかな物が出て来た、というような事がない限り「勝手な想像」の域を出ないだろう。つまりは鬼の首を取ったように「正しい証拠物件」を突き付けながらそう語ってもらわないと困るのだが、彼らがその根拠としているのは「大阪府は起債許可団体に転落(するほど貧乏)」「大阪府は(大阪市と異なり)借金を増やし続けている」というという周回遅れの情報である。
大阪府と大阪市は、どちらも地方交付税交付金に頼る自治体であり、大阪府の収支は10年以上連続黒字だ。一方で、大阪市も財政破綻寸前だった自治体である。今から15年ほど前の収支は赤字、市民一人当たりに背負わされた借金に至っては府による物よりも高額だ。その合わせた額は100万円をゆうに超える。

一人あたりの負債残高

教科書通りに説明すれば、大阪都構想はこういう状況から脱すべく大阪府市の二重行政を解消し、大阪全体の成長と身近な住民サービスを謳った統治機構改革である。大阪の改革に熱心な面々が過去の問題を真剣に検証し、練りに練られた改革案だ。項の冒頭で述べた反対派のフレーズははっきり言えば悪質なデマである。この流れに法定協議会に参加する政治家も乗っているのだから信じられない。

反対派の矛盾

また、反対派の言葉を拾い集めて行くと、同じ都構想の批判でも逆方向から攻めている矛盾に出会う事がある。代表格がこれだ。

  1. ①大阪市を分割すると、逆にスケールメリットが失われる
  2. ②特別区は現在の24区を合区するので、きめ細やかさが失われる

まず、現在の24行政区は地域自治区として維持されるので②に至ってはデマという事になるが、こう言うのならばその大阪市は一つの諺で表現する事が出来る。

「帯に短し襷に長し」

26の基礎自治体を持つ京都府より多い人口を一人の首長、一つの議会で身近な面倒を見るのも無理があるし、今や市域より拡大した1000万都市圏を270万人の居住地域で切り取って「広域行政」を行うのも無理があるのだ。名古屋市の2/3の面積の市境で尻切れになったり無理にカーブをした地下鉄の地図を見ると、これらを市の柵みから解き放つ事こそスケールメリットが見えて来るように思える。

大阪の地下鉄・名古屋の地下鉄

結局、彼らのこういう言葉遊びは本来の議論からかけ離れた物しか見えて来ない。「批判のために批判」していれば真実という柱を失い、このような矛盾が起こるのだろう。
その熱量だけは賛成派のそれを超えた物を感じる。ここで、大阪都構想の是非から離れて、大阪市に改革が必要だとされた過去に立ち返ってみたい。

  • ・府と市で競い合うように作って来た「二重行政」とされる箱物
  • ・ベイエリアのインフラや箱物に代表される無駄遣い
  • ・カラ残業、ヤミ退職金・ヤミ年金、ヤミ昇給、ヤミ福利厚生(スーツの支給など)、ヤミ組合専従、大量の天下り団体等、労使の馴れ合いによる職員の厚遇
  • ・前項で述べた財政危機下で以上のようなでたらめな財政運営を行ってきた事

このような自治体運営をなお続けたいという思惑があるとすれば、大阪市のままの方が好都合だと思える事実が見えて来る。

  • ・270万人で一つの財布(大きい)
  • ・270万人で1人の首長(住民から遠い)
  • ・270万人で一つの議会(問題解決が進まない)

彼らが叫ぶ、都構想で失われるとされる「権限や財源」とは、我々小市民の想像とは違った物が見えて来ないだろうか?

大阪都構想が必要な理由

私がバカバカしいと思うのは、270万人分の物を指してその「(特別区と比べた権限や財源の)大きさ」を主張する事だ。だったら880万人ならば更に大きいに決まっている。大阪市民は大阪府民でもある。後者は人口比で薄まってしまい前者の方が身近だというならば、前者も京都府並みには薄まっている訳で、特別区なら更に身近なのに、反対派はここを完全に無視している。これで大阪市がいかに素晴らしい自治体であるかのようにアピールされても、何か騙されたような気にならないだろうか。或いはそう思っているのは誰かと想像出来ないだろうか?
反対派は大阪市が政令市である事のPRも大好物の様子だが、その権限財源などは重なり合っている所へ府から市へ降りてきた物に過ぎず、この再編によってそれらは大阪府からは一歩も外へ出ない。そもそも大阪市の政令市としての歴史は64年にも及ぶのだから総括をすべき段階にある。それは地盤沈下と言われた衰退の歴史であり、大阪都構想はこれに向き合った人達の答だ。
それは大きく纏めるべき物は纏め、小さく分けるべき物は分ける「適正化」である。そこには縄張り争いとなるようなサイズや役割・強さの似通った干渉関係は無い。これだけでも市民と府民、どちらも得をする筈である。
もはや、基礎自治・広域行政どちらにとっても中途半端なサイズへの固執には滑稽さすら覚える。大事な事は、その大きさが「仕事のサイズ」に合っている事だ。それは、仕事の成果を住民が評価しやすくなる事を意味する。つまりはその恩恵が分かりやすくなるので、選挙では正しく首長が選ばれ、政治への関心も高まるという事だ。これは政治家や職員も緊張感を持たざるを得なくなる。彼らの一部には耳の痛い話もあるかも知れない。
モデルとなった東京の都区制度にも問題がない訳では無い。しかし大阪都構想にはその検証と対策も含まれ、それは東京都の特別区長が自身らの改善提案の正しさの証明になると期待するほどである。
「よく分からなければ反対」は反対派の理屈だ。こんな言葉を投票日の2~30日も前から聞かなくていい。それなら、以上で述べた内容から大阪のあるべき姿を最後の一日まで考えて頂いた方が、遙かに価値があると思う。

(文責 午後の紅茶)