大阪府と大阪市は、それぞれ同じ権限を持つが為に府市あわせ(不幸せ)と揶揄される状態であったのが維新以前の大阪。狭い大阪の中で、同じ権限を持つもの同士が別々に意思決定をする事で、様々な不利益が生じていた。例えば、高速道路の淀川左岸線や鉄道のなにわ筋線の様に、必要性はわかっているのに、協力しない事で物事を進める事ができなかった事がその一例。ただこれらに関しては、あれば得たはずの利益を失ってきたという、言わば見えない不利益である。それとは違い、ハッキリと目に見える不利益もある。それは大阪市の負の遺産の代表格であり、二重行政の象徴とされるWTC(ワールドトレーディングセンター)とりんくうGTB(ゲートタワービル)の事である。
WTC(現在は大阪府咲洲庁舎)もりんくうGTBも基本はオフィスビルとして利用する予定であった。が、オフィスとしての利用は予測を大きく下回り、どちらも破綻。無論、その理由はバブル崩壊というのが主原因であり、府と市が競いあっていなくとも建設され失敗していた可能性は大きい。が、もし、その時に二元行政(府市別々に独自に判断)ではなく、一元行政(広域自治体だけで判断)であったならば作ってたのはどちらか一つとなり、二つ作って二つとも失敗という結果は起きなかったのは間違いない。
まず有名なところではそれぞれのビルが高さを競い合うという本当に無駄な競争、意地の張りあいとしか言えない事例がある。簡単に経緯を説明してみたい。
まず、元々の構想ではWTCは252mという高さで計画されていた。しかしGTBが256mになるという事を知り4m高さを上げて256mとなった。それに対抗して府は0.1m上げ256.1mとし西日本一(当時)のビルとなった。無論、この競争自体は西日本一としての看板として使えるので大きな意味があるもの。民間であればだが。本質的に必要と思うものを作る行政としては単なる見栄の為の無駄な競争と言わざるを得ない。
二元行政ならばオフィスビルとしての顧客の需要予測も府市別々に独自に算出する事になる。その時の需要予測の中に重なっている部分は必然的にでてくる事になる。民間であればそれはそれぞれの会社の判断であり利益も不利益も享受する、それが競争原理であるが、原資が税金である行政ではそれは甘すぎる予測となって府民市民に負債となってのしかかってくる事になる。
府市が協調体制、少なくとも話し合って進めていたら.どちらか一方だけであれば成功していた可能性はあった。それをしない、と言うよりも話合う必要性を感じないどころか、それぞれが独自に計画立案して進めしまう事、これこそが二元行政の最大の問題点。今のままの府市体制が続けば、再びそうなる可能性は残ったままになる。行政がやるべき仕事を広域と基礎自治にしっかりとわけ役割分担をして、同じ轍を踏まない体制に変える、それこそが大阪都構想の最大の目的である。
(文責 天)